松坂は言った。

「よく晩節を汚すって言いますけど、だから何なの?って思いますね」

晩節を汚す。

人生で高い評価を得たにも関わらず、のちに覆す振る舞いをし名誉を失うこと。

周りなんて関係ない。地位も名誉もかなぐり捨て、日本球界をリードしてきた男のゼロからのスタート。

日米通算164勝。

中日ドラゴンズ・松坂大輔、37歳。

画像: 中日ドラゴンズ・松坂大輔投手

今シーズン初登板までの軌跡を追った。

2月、沖縄キャンプ。

松坂は復活できるのか?

そんな人々の注目を一身に浴びる中、男は独自調整にうって出る。

まず目を見張ったのは、キャッチボール。

他の投手陣に比べじっくりと時間をかけて行う。

さらに、短い距離から投球動作を確認。

変化球も交えるなどピッチングに必要な作業を連日のように繰り返した。

また右肩の状態を最優先に考え、投げる回数を制限していたブルペンではこんなことも。

突然、ピッチングを中断しブルペンから退出、何らかの異変が発生したかに思われた。

しかし5分後、まるで何事も無かったかのように再びブルペンへ。

実は、投げ込みだけを目的とせず実際に試合を想定し味方が攻撃している時のブレイクタイムを設けていたのだった。

限られた時間の中で常にゲームを意識し、トレーニングに励む。

そんな中で細心の注意を払っていたのは、やはり肩の状態。

毎日のように襲ってくる恐怖心と戦っていると松坂は言う。

「寝るとき、朝起きたときもゆっくりと肩を動かす。やっぱり不意に動かした時に痛みが出る恐怖心がまだある」

自分を諭すようにゆっくりと。

同じ過ちを繰り返せば、今度こそ選手生命が絶たれる。

だからこそ、焦る気持ちを抑え松坂は慎重にキャンプを過ごした。

そんな調整を続けてきた松坂は練習試合に1回、オープン戦で3回の登板を行った。

時に結果が出て、時に修正部分が出る。

投球フォームの改善や打者との間合いを変更するなど試行錯誤を繰り返しながら、その時はやってきた。

4月5日、ナゴヤドームでの巨人戦。

ソフトバンク時代以来となる550日ぶりに辿り着いた、公式戦のマウンド。

例え「晩節を汚す」と言われても己の力を信じ、前だけを向いて突き進んできた、この二か月。

結果は5回、96球、3失点。勝利とはならなかった。

松坂大輔。

ケガを乗り越え、投げられる喜びを胸に、次こそは、必ず。

2018年4月6日(金)放送『Spoken!』より

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